敏いとうの若い頃は?敏いとうの伝説の逸話とは一体!?

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「敏いとうとハッピー&ブルー」のリーダーとして活躍していた敏いとう(とし いとう)さんが2024年9月10日に死去していたことが14日に分かりました

敏いとうとハッピー&ブルーと言えば、昭和を代表するムード歌謡グループです

そのリーダーであった敏いとうさんの若い頃や伝説の話をまとめてみました

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目次

敏いとう

敏いとうさん死去 歌手「星降る街角」:東京新聞 TOKYO Web
東京新聞 TOKYO Web (tokyo-np.co.jp)

敏いとうさんのプロフィール

敏いとうプロフィール
  • 名前:敏いとう(とし いとう)
  • 本名:伊藤敏(いとう さとし)
  • 生年月日:1940年1月3日
  • 没年月日:2024年9月10日(84歳)
  • 出身:熊本県

お気づきになられた方もいらっしゃると思いますが、名前(芸名)の「敏いとう」は本名の「伊藤敏」を逆さまにしたものです

敏いとうの若い頃

敏いとう:ムード歌謡の帝王が歩んだ波乱万丈な人生|獣医から歌手、そして政治家へ - ユーストレンドラボ

敏いとうさんは、熊本県で生まれ熊本県で育ちました

大学は、青山学院大学経済学部に進学し、在学中にアメリカンフットボール部を設立したそうです

その後、日本大学農獣医学部獣医学科にも在学し卒業しています

とても頭が良かったらしいです

日本大学を卒業した後は獣医師になり獣医師として働き始めました

獣医師としての仕事をしていくとある日、作曲家の遠藤実さんの愛犬を診察することになりました

遠藤実さんとの出会いがきっかけで、芸能界に入ろうと決めたそうです

遠藤実って誰?

歌謡界を代表する作曲家の1人

遠藤実の有名な曲はなに?

「再会の夜」「北国の春」「男の純情」「若いふたり」など

1967年、「トシ伊藤とザ・プレイズメン」名義でミノルフォンレコードよりレコードデビューする

その後、「敏いとう&ブルー・キャンドル」を経て1971年に「敏いとうとハッピー&ブルー」を結成した

敏いとうの伝説とは?

Frank Sinatra / フランク・シナトラ「Nothing But The Best (Christmas Edition) / シナトラ、ザ・ベスト!-クリスマス・エディション」  | Warner Music Japan
Warner Music Japan (wmg.jp)

敏いとうさんには伝説の逸話があると言われています

それは、敏いとうさんがあの『フランク・シナトラ』のボディーガードを務めたことがあるということです

敏いとうさんは、柔道三段、空手五段という武道を心得ていてフランク・シナトラさんと交遊があったそうです

そのため、フランク・シナトラさんのボディーガードを務めることができたそうです

フランク・シナトラって誰?

アメリカのエンターテイナーでポピュラー・ジャズ歌手である

フランク・シナトラの何が凄いの?

生涯に1200以上の曲をレコーディングしている

60本以上の映画に出演した大スター

ジャズ界に大きな影響を与えた歌い手

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まとめ

今回は、敏いとうさんの若い頃のエピソードや伝説と呼ばれる逸話をまとめてみました

敏いとうさんは幼い頃から歌手を目指していた訳ではなく、獣医師と働いているさなか遠藤実さんと出会ったのが歌手デビューするきっかけでしたね

敏いとうさんの伝説の逸話とは、アメリカの大スターフランク・シナトラのボディーガードを務めていたことがあることでしたね

最後まで読んでいただきありがとうございました

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